長崎といえば、「長崎・天草潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産登録を目指。教会がとても多いイメージがありますが、御朱印をいただける神社やお寺も数多くあります。
観光のコースの中に組み込ん。御朱印ツアーを行っているタクシー会社もあるほど。今回は、御朱印集めに最適な長崎県の神社とお寺厳選10選してご紹介します。
松森天満宮(まつもりてんまんぐう)
出典:年賀状プリント決定版
明暦2年(1656年)に現在の地に今博多町から遷宮し、:現在まで学問の神さまとして崇敬されています。松の木が3本植わっていたことから松森神社と名付けられましたが、近年は県指定天然記念物のクスノキ群が有名このクスノキ群は、独立した樹ではなく、樹齢300年以上の7本のクスノキが群生。たいへん壮大な景色。
出典:Omair
明治時代には、県指定有形文化財の職人尽(しょくにんづくし)が、ドイツ領事によって写真におさめられ、ブリュッセル博覧会に出品されました。この職人尽は、本殿の外回りの欄干の間にはめ込んだ30枚の板に浮彫にされていて、天保3年(1832年)には、長崎奉行所の唐絵目利職であった絵師の石崎融思によって彩色が施されたとのこと。歴史民俗資料としてだけではなく美術品としても高く評価されています。松森天満宮を訪れられた際には、ぜひご覧ください。
【所在地】長崎県長崎市上西山4-3
鎮西大社諏訪神社(長崎市)
出典:ホテルニュー長崎
地元では「お諏訪さま」と呼ばれて親しまれている、鎮西大社諏訪神社の起源には、弘治元年(1555年)に、長崎織部亮為英が京都の諏訪神社の分霊を奉祀したのを始まりとする説と、東松浦郡の諏訪神社を勧請したという二つの説があります。諏訪・森崎・住吉の三社が祀られていて、厄除け・縁結び・海上安全・大漁の御利益があるといわれています。
出典:ameblo.jp
戦国時代には、キリスト教徒の支配地となり、すべての建物が破壊されてしまいましたが、その後、再興、遷座、火災による消失などを経て、明治元年(1868年)に再興。境内のあちこちに狛犬が配置され、狛犬散歩道として、止め事成就、願掛け狛犬の他、水をかけて祈願するカッパ狛犬や、心のトゲを抜くという怖い顔をしたトゲ抜き狛犬などを巡れます。
諏訪神社の祭礼として行われる「長崎くんち」は、国の重要無形文化財。博多おくんち・唐津くんちと共に日本三大くんちと呼ばれています。中国・ベトナム・オランダ・ポルトガルなどの文化を融合した奉納踊りが特徴。そんな鎮西大社諏訪神社では、長崎くんちの時期に、この祭りをデザインした御朱印帳がいただけます。
表が竜踊り。裏が龍宮船であったり、阿蘭陀万才であったり、毎年デザインが違いますので、長崎くんちに行くときには、忘れず御朱印帳をチェックしてみてくださいね。また通年販売されている御朱印帳は、2017年版ではアジサイの刺繍と武田菱が刺繍されています。
【所在地】長崎県長崎市上西山町18-15
月読神社(つきよみじんじゃ)
出典:Pinterest
古事記には、伊邪那岐命と伊邪那美命が天照大御神の次に産んだのが月読命と書かれていて、その月読命を祀っているのが、月読神社。壱岐にある月読神社は、日本神道発祥の地で日本最古の神社の一つと言われています。京都や伊勢神宮にも月読神社がありますが、壱岐から分霊したもので、こちらが元宮です。
出典:PR TIMES
祭神は、月夜見命・月弓命・月読命の三神。暦や潮の満ち引きなど、月が影響するすべて(大漁や豊作・安産・健康・病気平癒など)について、神徳があるとされています。長崎空港から壱岐までは、30分のフライトです。オリジナルの御朱印帳と日本最古といわれる神社の御朱印を手に入れる旅は、壱岐の観光も楽しめて、満足度が高い御朱印集めの旅になるのではないでしょうか。
【所在地】長崎県壱岐市芦辺町国分東触464
崇福寺(そうふくじ)
出典:フォートラベル
寛永6年(1629年)長崎に居留していた福建省出身の華僑の人々が、福州から超然(ちょうねん)という中国の僧侶を招いて創建。長崎三福寺の一つ。福州寺とも呼ばれています。中国様式の寺院としては日本最古のもので、長崎三福寺には、檀家に中国人の方が多いこともあり、唐寺(とうでら)、建物全体に朱色が多く使われているため赤寺(あかでら)とも総称されています。唐寺の特徴として、媽祖堂(まそどう)があり、海の神である媽祖を祀って航海や漁の安全を祈願していました。
出典:Pikdo
ここ崇福寺には、媽祖門があって、媽祖堂側が和式の船底天井、鐘鼓楼側が中国式の黄檗天井になっていて、全国で唯一、媽祖門と媽祖堂がある寺院であるとされています。国宝の大雄宝殿や第一峰門を始め、重要文化財、県指定文化財などが多く残されていますので、中国式の建築に興味がある方にはかなりおすすめ。
崇福寺の御朱印は、あらかじめ印刷してあるものに日付を入れてもらうタイプ。売店で入手できます。ローマ字が入ったスタンプも押してある、比較的カジュアルな御朱印。
【所在地】長崎県長崎市鍛冶屋町7-5
興福寺(こうふくじ)
出典:キレイライフプラス
寛永元年(1624年)中国人の僧である真円(しんえん)によって建立された、日本最古の黄檗宗寺院であり、当時の臨済宗黄檗派発祥の地。崇福寺が福建省出身の信徒が中心なのに対し、興福寺は浙江省や江蘇省出身の信徒が多かったため、南京寺とも呼ばれました。
出典:ameblo.jp
長崎ランタンフェスティバルの際には、異国情緒たっぷりの媽祖行列が、興福寺を目指して歩いていきます。木魚の原型といわれている、大きな木彫りの魚が雌雄一対で掛けられていますが、これは正式名称を飯梆僧(はくぼうそう)といい、僧侶たちに食事の支度ができたことを、この木彫りの魚を叩いて知らせていたもので、鰍魚(けつぎょ)という中国の魚をかたどっていて、雄の口に含まれた玉を欲望を表し、叩くことによってこれを吐き出させるという意味があります。雌雄一対でかけられているのはとても珍しいので、興福寺を訪れた際にはぜひご覧ください。興福寺の御朱印は、とてもダイナミックです。
【所在地】長崎県長崎市寺町4-32
聖福寺(しょうふくじ)
出典:長崎市ホームページ
隠元の孫弟子である鉄心道胖を開基とし、地元の豪商や長崎奉行の後援を受けて、延宝5年(1677年)に建立された寺で。長崎三福寺に聖福寺を加えて、長崎四福寺とも、また、広東省出身の信徒が多く帰依していたため広東寺と呼ばれることもありますが、他の三寺と比べ朱色塗を極力おさえて、和風の建築に近い建て方
大雄宝殿横にある、聖福寺の末寺の廃材の瓦を積み重ねて作られた鬼塀や、現在は除夜の鐘の際にのみ使用される長崎市内最大の梵鐘は、一見の価値があります。
出典:ゲーム攻略
聖福寺は、いろは丸事件の談判処として使用されたことでも有名。慶応3年(1867年)4月に坂本龍馬が率いる海援隊の「いろは丸」と和歌山藩の「明光丸」が、瀬戸内海で衝突し、いろは丸は沈没。日本で初めての蒸気船事故と言われています。この事故の賠償交渉が行われたのが、ここ聖福寺でした。
また、キリシタン禁教時代の象徴といわれた「じゃがたらお春」の石碑や、鉄心道胖が愛でた鉄心椿でも有名。
【所在地】長崎県長崎市玉園町3-77
福済寺(ふくさいじ)
出典:gonihongo
寛永5年(1628年)に建立された黄檗宗の寺院。崇福寺・興福寺とともに長崎三福寺、または聖福寺も含めて長崎四福寺と数えられています。信徒に福建省の泉州市と漳州の出身者が多かったため、泉州寺・漳州寺とも呼ばれていました。元治元年(1864年)に外国艦隊による下関攻撃の装備を整えるために、幕府から危険された勝海舟と同行した坂本龍馬が一か月滞在したお寺としても有名。
出典:光日光タクシーからのお知らせ
戦没者の慰霊と平和を願って、昭和54年(1979年)に建てられた長崎観音(万国霊廟長崎観音)は、亀の形をした霊廟の上に建てられた、地上34mの(観音自体の高さは18m)の巨大な観音像。内部には日本最大級のフーコーの振り子が取り付けられました。この振り子には、永遠に動き続ける地球とともに、人類も永遠に平和であることへの願いが込められています。
【所在地】長崎県長崎市筑後町2番56号
御橋観音寺(おはしかんのんじ)
出典:じゃらん
寺伝では、養老年間(8世紀初頭)に行基によって開かれたとされています。本尊は十一面観音座像です。
境内の奥にある、天然の「石橋」(長さ約27m・幅4mほど)は、平戸八景または北松八景の一つ。約40種類のシダが自生している御橋観音シダ植物群落は、国指定の天然記念物。たいへん美しい光景が広がっています。
出典:Omairi
紅葉や桜のスポットとしても有名なので、自然を楽しみながらの御朱印集めには最適の寺院。
【所在地】長崎県佐世保市吉井町直谷94番地
開元寺(かいげんじ)
出典:city.hirado.nagasaki.jp
昭和59年(1984年)に弘法大師入定1150年の記念として創設された、九州八十八ヶ所霊場第78番札所。寺という名称がついていますが、伽藍などはなく、「弘法大師唐渡解纘之地」と書かれた顕彰碑と法要殿があります。弘法大師が唐に渡るために日本を離れた、最後の地が田の浦であったことから建てられた霊場であり、開元寺の名称は、唐に渡った後、一か月間滞在した寺の名が開元寺であったことにちなんでつけられました。
出典:フォト蔵
見晴らしの良い高台には、日本一の規模の石像である、高さ7mの入唐大師像(台座を含めて16m)があり、遠く唐の地を指さしています。開元寺は無住であるため、御朱印は、最教寺でいただけます。
【所在地】長崎県平戸市大久保町田ノ浦
温泉神社(うんぜんじんじゃ)
出典:八百万の神
大宝1年(701年)に行基によって創祀されたという温泉神社は、雲仙温泉の雲仙地獄のそばにあって、島原半島の各地にある温泉神社の総本山。ご祭神は、白日別命(しらひわけのみこと)・速日別命(はやひわけのみこと)・豊日別命(とよひわけのみこと)・豊久土比泥別命(とよくじひねわけのみこと)・建日別命(たけひわけのもこと)の五神です。
出典:寺社巡り From Nagasaki
この神社の境内には「夫婦柿」と呼ばれている柿の木があり、パワースポットとしても密かな人気。樹齢200年以上といわれる二本の柿の木が、寄り添っているように見える「夫婦柿」は恋愛成就・子孫繁栄の御利益があるとされています。
両手を二本の柿の木に抱くように回し、下から上へ撫で上げながら願い事を唱え、最後にサカキを使って柿の木の横にある御神水を身体に振りかける、というのが作法です。恋人同士やご夫婦。温泉旅行と一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。
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