大阪の風変わりな地名と難解な地名

大阪には、変わった地名や難読地名が数多くあります。それぞれに由来や歴史や背景もいろいろあり、今回は大阪の風変わりな地名と難解な地名をご紹介します。

チェック○ 歴史を感じる大阪の難読地名

歴史を感じる大阪の難読地名

歴史の古い大阪ですから、古代から今に伝わるような地名も多く残っています。

< 立売堀(いたちぼり) >

・大阪市西区。
戦国時代、大阪の陣に参戦した東北の武将・伊達政宗がこの辺りを陣地にしていた。
この地に開削した運河に、伊達氏の名前から伊達堀(だてぼり)と命名。
しかし人々は間違えて「いたちぼり」と読んでしまう。
その後、材木の立売り問屋が集まり、その誤読のまま「立売堀」の字を後付け。

< 放出(はなてん) >

・大阪市城東区と鶴見区。難読駅名としても有名。
・関西人には、♪ハナテン中古車センタ~のCMが耳馴染み。

・大昔、大阪東部の湖から、水が当時の淀川に放出されていた。水が放ち出ていた所で「はなちで」。そして訛って「はなてん」。
・他にも、大昔の飛鳥時代に起きた「草薙剣盗難事件」が由来という説も。

< 天下茶屋(てんがちゃや) >

・大阪市西成区。
・豊臣秀吉が住吉大社へ参拝した帰り道、偶然立ち寄ったお茶屋。

・ある人は、関白殿下の茶屋だから、殿下茶屋(でんかちゃや)と呼び、またある人は、天下人・秀吉の茶屋で天下茶屋(てんかぢゃや)と呼ぶ。それらが混ざって、いつしか「てんがちゃや」に。

< 水走(みずはい) >

・東大阪市の東部。
・阪神高速出口の名前として結構有名。渋滞情報でも良く耳にします。
・古代から中世、この付近を支配した一族・水走氏から来た地名。
・水走の名自体は、この辺りを南北に流れていた川の流れ方・勢いから。
・生駒の山腹が迫って川幅が急に狭まり、水が走るように流れていたから。

< 交野市・私市(かたのし・きさいち) >

・交野市は大阪東北部の郊外都市。私市はその交野市内の町名。
・2つとも、大和朝廷の頃まで遡る由緒ある地名。
・この辺りを開拓・支配した、肩野物部(かたのもののべ)氏の名前が交野の由来。
・その後、「人や生き物が行き交う野」とアレンジされ、交野の字に。
・昔、天皇の后(きさき)のための仕事をした人を私部(きさべ)と呼び、その私部たちが住み、そのままこの辺りは私部の名となった。(今も町名として残る)
・その私部の村の中心地が、私部内(きさべのうち)と呼ばれ、それが訛って私市(きさいち)に。
・他に付近には、天の川・星田など、七夕伝説に所縁ある地名も多い。

< 杭全(くまた) >

・大阪市東住吉区。
・町内の表示板にも、難読すぎてフリガナが振られている。
・平安時代以前、付近を流れる川の氾濫に、人々は悩まされていた。
・その川の流れを治めるため「杭」を打って、それが「全て」打ち終わった所。
・他にも、古代の現在の朝鮮半島の百済(くだら)の国から来た人々が移り住み、「くだら」が訛って「くまた」になったという説も。

チェック○ 意外に単純な理由でついた大阪の珍地名

意外に単純な理由でついた大阪の珍地名

なんか由緒有りげだけど、実は単純な理由で付いた、変わった地名も大阪にはよくあります。

< 十三(じゅうそう) >

・大阪市淀川区の中心。阪急の駅として有名。何気に難読。初めての人には読みづらいです。

十三(じゅうそう)の名前の由来ですが

・淀川の上流から数えて13番目の船着場という説
・古代大阪の町を南から区切っていき、一条から始まって十三条目だったという説

がありどちらにしても13と言う数字が、起源なのは間違いないです。

< 百舌鳥(もず) >

・堺市にある地域の名前。
・漢字だと三文字なのに、平仮名だとニ文字と言う不思議。
・大阪府の鳥でもあるモズ。モズを漢字で書くと、百舌または百舌鳥と表します。
・地名としては後者の百舌鳥が使われた。
・昔、付近の仁徳陵を築造する際、倒れた鹿の耳からモズが飛んでった…の始まりだとか。

< ダイハツ町 >

・大阪北部の池田市内にある町。
・文字通り、町の殆どは軽自動車で有名なダイハツ工業の敷地。
・元々は川沿いの荒れ地で、地名も無かったような場所。
・昭和初期、その荒れ地にダイハツが大きな工場を建て、いつの間にかダイハツ町と呼ばれるように。
・池田市も多額の税金を収めるダイハツに敬意を表し、正式町名とした。
・同様に企業名が町名になった所は、大阪には他にも。茨木市松下町、大東市三洋町など。

< 喜連瓜破(きれうりわり) >

・平野区にある地下鉄谷町線の駅名。
・意味有りげっぽいけど、単純に駅の西側の町名の喜連と、東側の瓜破を繋いだだけの複合駅名。

・大阪の地下鉄、同様に2つの地名を強引に合わせた駅名が多くある。
(例えば西中島南方、四天王寺前夕陽ケ丘、駒川中野、野江内代、関目高殿、千林大宮、太子橋今市…等々)

・喜連と瓜破、それぞれ難読地名同士を合体させるのも、大阪らしい強引さであります。

・喜連は古代の朝鮮半島の国「高句麗(こうくり)」からの来た人々が住んだ村「伎人郷(くれのごう)」が始まり。その「くれ」が訛って「きれ」に、後に縁起の良い喜連の字を当てた。他に、中国の呉(くれ)の国が由来とする説もあるという、すごく古い歴史ある地名。

・瓜破の名も、大化の改新があった頃に遡る由緒。この地に住んだ高僧の前に突如現れた天神像。その像に瓜を割って供えたとか。他にも諸説が幾つか。

単純な合体駅名だけど、個々の地名には深い由緒がある好例の一つです、喜連瓜破。

チェック○ 実は、本当は怖い系?な大阪の繁華街の地名

実は、本当は怖い系?な大阪の繁華街の地名

聞き慣れた町の名も、実はちょっとヤバそうな言い伝えがあります。
2つ紹介しますが、両方とも大阪を代表する賑やかな繁華街なのが、逆に怖いと感じるのではないのでしょうか?

< 梅田 >

・その昔、今の梅田は一面の低湿地帯であり地盤が弱くて地滑りも多く、せっかく作った田んぼも埋まってしまうほどでありました。
そのため「埋め田」と呼ばれます。しかしそれでは字面が悪く「梅田」に。どちらにしても「梅」は本当は「埋め」なのは事実。

実は、梅田の名がつく前の湿地帯だった頃から墓場があり、後に梅田墓地と呼ばれた。明治初期に移転したはずの梅田墓地の場所。その後の開発時に、土中から無縁仏の墓石や遺骨がたくさん出てきた…。今でも埋められたまま、名も無き無縁仏が眠っているのかも…。まさに、埋め田…。

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