みちのく(奥州)の短い夏の主役は、何と言っても「祭り」です。8月の声を聞くと、各地でさまざまな「祭り」が開催される中でも、「東北四大まつり」が有名であり、全国からたくさんの観光客が見学に訪れてきます。その他の「祭り」もお紹介させていただきます。
1.青森ねぶた祭
東北四大まつりの中でも最大規模の「ねぶた祭」は、北国の短い夏を一気に燃焼しつくすようなエネルギッシュな祭として有名であり、全国に知れ渡っています。
開催時期は8月2日~7日、運行時刻は2日~6日は18時50分~20時40分、7日は13時~15時です。内容は、色鮮やかな武者絵をあしらった21台の巨大灯籠「ねぶた」が、かけ声「ラッセラー、ラッセラー」を上げながら「ねぶた」の周りで踊る「ハネト(跳人)」のとともに青森市街地を進みます。最終日には受賞「ねぶた」がはしけ(船)に乗せて海上を凱旋航行し、花火が打ち上げられます。
「ねぶた祭」は、観光客でも行列に参加できることで人気があり、地元の「ハネト(跳人)」と一緒に踊れば思い出深いものになると思います。「ハネト(跳人)」は誰でも参加できますが、決まった衣装を身に着けなければなりなせん。肩に赤やピンクのたすきをかけ、着物の裾をたくし上げ、その下にはピンクや青の「オコシ」をつけます。そして頭には花笠をかぶります。「ねぶた」の貸衣装は、市内の喫茶店・呉服屋等で一式3,000円~4,000円で用意されています。踊り方の基本は、片足で2歩ずつ足を交差させながら跳ねることの繰り返しです。
【豆知識】
○ ねぶた
灯籠「ねぶた」は、明治時代以降、次第に大型化し、現在では幅9m、奥行き7m、高さ5mほども。ただし、電線や歩道橋等の障害物の為に高さが制限されて、平べったい独特の形に。1台の「ねぶた」は、下絵(設計図)作成→骨組み作り→電球の取り付け→和紙の張り付け→墨による輪郭描き→色塗り→台座への配置と順番に作業し、完成までに3カ月ほどかかります。
○ 起源
奈良時代に中国から伝わった「七夕祭り」と津軽の文化が融合したものと言われています。昔、夏の農作業を妨げる睡魔を、ワラ人形や灯籠等を川に流したり、水浴びをして洗い流す「ねむり流し」という行事がありました。これと、7月7日の七夕にけがれや悪霊を人形に閉じ込めて流す灯籠流しが結びついて、「ねぶた」が始まったと考えられています。「ねむり流し」が「ねむた流し」となり、さらに「ねぶた」へと変化してきたと言われています。
【観光施設】
津軽藩ねぶた
「弘前」駅から弘南バス「浜の町・石渡」行き15分の「亀の甲町角」で下車して下さい。「ねぶたの館」では、高さ10mの大型「ねぶた」が展示されている他、「津軽」の郷土芸能や民芸品が見学できます。「工房」では、「津軽凧絵付け」、「津軽焼」、「金魚ねぶた」の作り方を体験できます。
中野ねぶた凧製作所
津軽凧絵(出典:ふらっとふるさと)
「弘前」駅から徒歩12分です。凧絵師の中野啓造さんが、「凧絵」描きや「金魚ねぶた」絵付けを
直伝してくれます。申し込みは2人以上で、事前に予約が必要です。
2.秋田竿灯(カントウ)まつり
開催時期は8月3日~6日、運行時刻は19時から、秋田市の「七夕行事」として多数の「竿灯」が通りを運行します。内容は、高さ10mもある竹竿の46個の提灯(チョウチン)を鈴なりに吊り下げた重さ50kgの「竿灯(カントウ)」を、ハッピ姿の差し手が、「ドッコイショー、ドッコイショー」のかけ声と共に、手のひら→額→肩→腰へと絶妙なバランスで移していく迫力ある演技を、観客に披露します。メイン会場となる「山王大通り」には200本の「竿灯」が繰り出されます。笛・太鼓の囃子(ハヤシ)が夜空に響き、無数の提灯の明りが揺れる様は真夏の夜の幻想ではないかと感じられます。
【豆知識】
○ まつりの意味
「眠(ネブ)り流し」とも呼ばれ、夏の睡魔や邪気を追い払って、五穀豊穣を祈ります。「竿灯」の形も稲穂(イナホ)をかたどり、吊り下げられた提灯は米俵(コメタワラ)を意味しています。
○ 竿灯
「竿灯」には、最も大きい「大若(オオワカ)」から子供用の「幼若(ヨウワカ)」まで4種類の大きさがあります。「大若」は、長さ12mの「親竹」に、長さ3mの「横竹」を7本と、2m及び1mの「横竹」をそれぞれ1本の合計9本が結びつけてあります。
○ 起源
「眠り流し」とお盆の灯籠が合体して「竿灯」が誕生したと言われています。「眠り流し」とは、元々笹竹(ササタケ)や合歓(ネム)の木に願い事を書いた短冊(タンザク)や提灯(チョウチン)を飾って町を練り歩き、最後は川に流す行事でした。笹竹を依代(ヨリシロ)(神様が寄り付く物)として、そこに睡魔や邪気を依りつかせて水に流したのです。一方、江戸時代中頃になると、城下の家々では、お盆の時期に横木をつけた高灯籠を門前に立てるように。この2つが組み合わされて、高灯籠を持ち歩くようになり、それが巨大化していき、「竿灯まつり」になったと考えられています。
【観光施設】
ねぶり流し館
出典:攻城団
「秋田」駅から徒歩12分です。「ねぶり流し」とは、「竿灯まつり」のルーツである「睡魔払い」の「盆行事」の事で、その名が愛称となった民俗芸能館です。高さ10mもある本物の「竿灯」や「凡天(ボンテン)」等が展示され、実際に「竿灯」を手にする事もできます。
3.山形花笠(ハナガサ)まつり
開催時期は8月5日~7日、パレードの出発は18時30分からです。内容は、きらびやかな山車(ダシ)を先頭に、紅花(ベニハナ)をあしらった笠を手にした踊り子達が「花笠音頭」に合わせて、山形市の十日町から旧・県庁舎まで踊り進んで行きます。「薫風最上川(クンプウモガミガワ)」・「蔵王暁光(ザオウギョウコウ)」という標準的な踊りの他に、趣向を凝らした創作踊りや笠回しが披露されます。異なる衣装と群舞のグループが次々と通り過ぎます。美しく飾られた山車や、イルミネーションアーチ、マスコット達も祭りを盛り上げます。途中、飛び入り参加できるコーナーも2箇所あります。
【豆知識】
○ 花笠音頭
明治・大正時代の頃、山形県の村山地方で、工夫(コウフ)が地盤を固める時の作業歌として歌っていた「土突き唄(ドンツキウタ)」を元唄(モトウタ)に、船方節(フナカタブシ)や八木節(ヤギブシ)等がミックスされたもの。「ヤッショ、マカショ」の囃子(ハヤシ)ことばも、土突きの掛け声から生まれたと言われます。昭和の初め頃、現在の賑やかな伴奏を入れた民謡に。
○ 花笠
踊り子が持つ花笠は、昔から農作業で使う菅笠(スゲガサ)を編まれていた山形県飯豊町(イイデマチ)の中津川(ナカツガワ)地区で作られていて、1963年の「山形花笠まつり」の始まりの時から毎年提供しました。花笠には、山形県の花である鮮やかな紅花の造花が飾られています。
○ 女踊りと男踊り
「薫風最上川」は、優雅な振り付けから「女踊り」と呼ばれ、「蔵王暁光」はダイナミックさとキレのある動きが特徴で大地を踏みしめるような力強さを持っていることから「男踊り」と呼ばれています。
4.仙台七夕(タナバタ)まつり
「伊達政宗」が始めたと伝わる仙台の名物行事で、開催時期は8月6日~7日です。内容は、3,000本を超えるという「笹飾り」が、商店街に華やぎを与えるなど、市内には、絢爛豪華な「七夕飾り」で埋め尽くされています。
「笹飾り」には、七つ道具と呼ばれる「折鶴(オリヅル)」・「巾着(キンチャク)」・「短冊(タンザク)」・「吹(フ)き流し」・「紙衣(カミゴロモ)」・「投網(トアミ)」・「屑籠(クズカゴ)」が必ず飾られます。メイン会場は、仙台駅前から一番通りまでのアーケードで、雨でも濡れずに楽しめます。
夕方から定禅寺通りで行われる「七夕パレード」も人気。前夜祭の「仙台七夕花火祭」や関連行事の「仙台七夕・おまつり広場」等のイベントもあり、全国から200万人を超える観光客が訪れます。
【豆知識】
織姫(オリヒメ)と彦星(ヒコボシ)の伝説
中国の伝説では、天界に織姫(職女星(ショクジョセイ))という機織り(ハタオリ)の上手な娘がいましたが、彦星(牽牛背(ケンギョウセイ))と結婚してからは機織りを怠けるように。怒った天帝(テンテイ)は、2人を天の川(アマノガワ)の両岸に引き離して、1年に1回だけ旧暦の7月7日に会うことを許しました。2人の再会を祝うと同時に機織りや習字の上達を願う中国の行事が、「七夕まつり」の始まりだと言われます。
7種類の飾りが持つ意味
「仙台七夕」では7種類の「七夕飾り」が使われますが、それぞれの飾りには意味があります。「短冊」は学問や書の上達、「紙衣」は裁縫の上達、「折鶴」は長寿、「巾着」は富と商売繁盛、「投網」は豊漁、「屑籠」は清潔と倹約、「吹き流し」は機織りの上達です。
○ 七夕飾り
大きい飾りは、くす玉が直径1m、「吹き流し」は長さ5mほどです。見物客は「吹き流し」を掻き分けるようにして歩きます。
○ 「仙台七夕花火祭」と「仙台七夕・おまつり広場」
「仙台七夕花火祭」は、約1万5,000発の花火が打ち上げられます。「仙台七夕・おまつり広場」では、「短冊」への願い事の記入や七つ限りの製作体験等の「伝統継承コーナー」や、「ステージイベント」等様々な内容で開催されます。
5.その他
(1) 弘前ねぷたまつり
開催時期は8月1日~7日、場所は青森県弘前市土手町等で行われます。太鼓や笛の囃子(ハヤシ)とともに、約60台の「ねぷた」が練り歩く夏の風物詩。表に武者絵、裏に美人画が描かれた灯籠型の「ねぷた」にはまるで命が宿っているようです。人形型で勇壮な「青森ねぶた」に対し、「弘前ねぷた」は扇の形でより繊細で華麗で、囃子も哀愁を帯びています。
【豆知識】
「ねぶた」と「ねぷた」
東北地方の夏を代表する「青森ねぶた」と「弘前ねぷた」、どちらも大型灯籠を主役とするエネルギッシュな祭りですが、その違いを比べてみるとおもしろいものがあります。両者の相違点は下記の通りです。
「青森ねぶた」は武者や歌舞伎役者をかたどった巨大な人形の「ねぶた」であり、「弘前ねぷた」は扇型のものが主で、表に三国志や水滸伝などの武者絵、裏に美人画が描かれています。その大灯籠を、青森では、跳人(ハネト)と呼ばれる踊り手が「ラッセーラー」の掛け声とともに「ねぶた」の前を飛び跳ね踊り歩き、弘前では、「ヤーヤド」の囃子に乗って引き練り歩きます。
発祥は、「青森ねぶた」が江戸時代の享保年間(1716~1736)で、「弘前ねぷた」が室町時代といわれていますが、昭和20年代までは夏祭りといえば「弘前ねぷた」でした。「弘前ねぷた」は別名によれば“喧嘩ねぷた”とも呼ばれ、乱闘の制圧に軍隊が出動したこともあったそう。「青森ねぶた」が現在のように有名となったのは戦後からということです。それまでは、青森でも「ねぷた」と称したが、いつからか「ねぶた」に変わったといわれています。いずれにしても、勇壮な「青森ねぶた」、華麗な「弘前ねぷた」、どちらも一度は見てみたい真夏の夜の祭りです。
(2) 弘前城雪灯籠まつり
開催時期は2月中旬。「みちのく五大雪まつり」の一つで、青森県の弘前公園内のいたるところに雪像や雪灯籠が立っています。中でも、雪灯籠に明りが灯る夜は幻想的な雰囲気です。数々のイベントも開催されています。
(3) なまはげ紫灯(セド)まつり
男鹿(オガ)半島の民俗行事の「なまはげ」と真山(シンザン)神社の「紫灯祭」を組み合わせて1964年に始まった祭りです。祭りでは、地元の若者達が神官によってお祓(ハラ)いを受けた面をかぶって「なまはげ」に変身する「なまはげ入魂(ニュウコン)」の儀式が行われます。神楽殿(カグラデン)では、男鹿地方の各地で大晦日に行われる「なまはげ」行事や勇壮な「なまはげ太鼓」の演奏が繰り広げられます。境内の広場で炊かれる「紫灯火(セドビ)」の周りでは、迫力満点の「なまはげ踊り」が披露されます。
祭りのクライマックスは、15匹の「なまはげ」が山の頂(イタダキ)から参道を降りてくる「なまはげ下山」です。たいまつをかざした「なまはげ」が闇から現れて、見学者を魅了します。その後、境内を練り歩く「なまはげ」達に、神官が「紫灯火」で焼いた「護摩餅(ゴマモチ)」を捧げ、「なまはげ」達は「護摩餅」を受け取り、山の奥の神の元に帰っていきます。最後に、「護摩餅」が切り分けられて観光客に配られます。「護摩餅」には火災を避けるご利益があると言われています。
【豆知識】
○.大晦日(オオミソカ)に行われる伝統行事
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男鹿地方の伝統行事としての「なまはげ」は、大晦日の夜に行われます。「テゲ」(ワラのミノ(外套))をまとい、包丁や御幣を持った「なまはげ」達が「泣く子はいねえが」と叫びながら、民家に上り込みます。家の主人が酒や餅をふるまうと、祝いや日々の生活での注意の言葉を贈って、次の家へ向かいます。
○.「なまはげ」の語源
「ナモミをハグ」が「ナマハゲ」になったという説が有力です。「ナモミ」とは、冬に仕事をしないで囲炉裏にあたってばかりいると脛(スネ)等にできる火傷(ヤケド)の跡(アト)のことです。休んでばかりいる怠け者にできる「ナモミ」を包丁で「剥(ハ)ぐ」ことから「ナマハゲ」になったという説です。この説によれば、「ナマハゲ」は悪い鬼ではなく、怠け者を戒める神様だったようです。
(4) 横手のかまくら
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「かまくら」は、「水神様」を祀る小正月の伝統行事です。主役は子供達で、雪で作った「かまくら」の中に「水神様」を祀り、火鉢で甘酒を温めたり、お餅を焼いたりしながら、通行人があると、「はいってたんせ(「かまくら」に入ってください)」と声をかけます。「かまくら」の中に招かれた客は、甘酒やお餅をいただきます。かつては町中のいたる所に作られましたが、現在は横手公園等一部の場所に限られています。
【豆知識】
○.「かまくら」の作り方
最初に、雪の上に、「かまくら」の大きさを示す円を描きます。円の中に雪を踏み固めながら積み上げていき、3m程の高さにします。正面の入り口にする所から雪を掘っていき、壁の厚さを50cm程残して、中を空洞にします。壁を滑らかにして、中に神棚を作って完成です。
○.ミニかまくら
昔からの大きな「かまくら」の数は減りましたが、代わりに増えてきたのが「ミニかまくら」です。高さは30cm位で、中には子供達の願い事が書かれた短冊(タンザク)が収められています。夜になると、河原や小学校の校庭に無数の「ミニかまくら」のろうそくが灯り、まるで 星空のようです。
(5) 三吉凡天(ミヨシボンテン)まつり
秋田市の三吉神社の行事です。寒気を負けないで勇壮に繰り広げられる男の祭りです。30人~40人の若者達が法螺貝を吹き鳴らして気勢を上げ、極彩色の凡天やく80体が先陣を争って奉納します。
(6) SENDAI光のページェント
昭和61年から始まっています。毎年12月12日~31日、17~24時、仙台市中心部の青葉通りと定禅寺通りのケヤキ並木が数十万個のイルミネーションと、通りに多い芸術的な彫刻もライトアップされ、光のトンネルに変わります。まるで夢の世界に迷い込んだような冬の風物詩。クリスマスの時期には様々なイベントがあります。